会社の歴史

創立までのあゆみ

1935(昭和10年)

創業者、池内義人が中国一円の大小造船所へ労務の供給を目的とした池之内組を組織する。

昭和は暗いスタートで始まる。年号が変わり、新しい年を迎えて、人々は、世の中の好転を期待したに違いない。関東大震災の痛手、不況が長く続き、今年こそ不況が解消されるのではないかと新しい年に思うのは無理もなく、まったく現代のよく似ている。この不況は「モダン」の名の新しい女性を創り出したにもかかわらず、「大学は出たけれど」といった失業者が全国にあふれ、企業は合理化をせまられ、首切り、賃下げが相次いだ。やがてこの黒い雲は昭和6年満州事変により、昭和の前半は見せかけの希望で、禍根に満ちた歴史をつづりながら歩み続けていった。昭和9年10月、帝人三原工場が落成した。昭和10年故初代社長は中国一円の大小造船所、建築、土木現場への労務者の供給を目的に個人会社池之内組を組織した。急激に発展しだした各造船所は管理者を除いて、優れた現場職人が少なかった。むしろ、下請に優れた手のものが多く、給料も高く「渡り職人」という非常にプライドを持った職人が自分を求める職場を渡り歩くのが普通であった。

1941(昭和16年)

市内糸崎町に三菱重工業株式会社三原車輛製作所の進出が決まり造成工事着工成る、工事請負会社竹中工務店に労務供給を行う。

昭和11年11月15日、三原町は六ケ所村の合併により振興三原市が誕生した。池之内組も時代の進展に伴い成長していった。昭和16年勝田新田と呼ばれた糸崎町7万4千坪に三菱重工株式会社三原製作所の建設が決定し、その埋立開始と同時に工事請負会社であった竹中工務店を通じ建設工事に携わった。地元でもあり安定した仕事先として、三菱構内に作業用地を借用し独立し、下請業を営み始めた。三菱三原工場での純粋な地元の取引業者では当社が草分けであった。当時、現存する中谷運輸(田中運輸)の前身)鈴鹿組なども参加していたが中央からの出先であって純粋な地元業者ではなかった。しかし、今の様に常時仕事があるわけでなく、東繊、帝人三原、田熊造船や木江あたりから呉造船所、笠戸ドックあたりまで仕事を求めて歩くのが常であった。

1943(昭和18年)

三菱三原車輛の稼働開始と共に設備保全や労務供給を目的とした構内取引を開始する。

昭和18年第二次大戦の最中で国内経済は軍需色一色である、蒸気機関車を造る三菱車輛製作所と軍艦を造る造船所と深く関係していたため、大政翼賛会の下部組織である翼賛扶桑会に所属していた。(当時この組織に所属していなければ、資材配給もなく経営活動もできなかった。)今のシンガポール(当時は昭南島)に日本の大海運基地があり、その造船所へ軍属派遣の要請があり志願者を募り約43名を送り出すなど戦争参加をよぎなくされた。昭和20年終戦となり、一大打撃を被った。三菱といえども鍋、釜を造る時代で傘下企業の仕事は完全に止まり、土地や家屋の売り喰いに時代であった。開店休業の状態で手許に残った少しばかりの農地(現在の工場用地の一部)を耕作しながらの食い継ぎでもあった。世相はこんなことが通例で苦しい限りであったが、今考えてみると強く根を張るための早春の麦踏みであったようである。終戦後2、3年は食糧、住宅事情も極度に悪く、民心不安定でヤミ市、カツギ屋等の横行した時代である。民心安定に少しでも役立てばということで、昭和天皇、皇后両陛下の全国行幸が始まったものこの時期である。

1945(昭和20年)

終戦のため開店休業となる。

1950(昭和25年)

市内西町にあった機械工場を買収し、三菱構内作業に並行して町工場の経営に乗り出し、共立機械製作所と名称変更する。

昭和21年三原への行幸があり三菱三原もその視察工場となった。当時は荒廃した国土を復興する機運も徐々に盛り上がりだし、少しばかりの拾い仕事にありつけるようになっていた。現在の第2門(東町門)の鉄道に沿った塀は今も残っているが、この塀の内側に木造のみすぼらしい小屋掛工場あ建っていた。両陛下の御行幸は三原にとっては、有史以来初めてのことであり、三菱重工あげてきれいに掃除をし歩かれる道に箒目を入れたものである。昭和25年の朝鮮動乱勃発まで、経済活動は徐々に盛りあがる復興活動を除いては全く消沈したものであった。こんな時、昭和24年の秋に市内西町にあった小さな機械工場の買収の話しが持ち上がった。くもの巣がはりついた老朽工場で、ベルト掛け旋盤4台、直結旋盤1台、ミーリング1台、セーパー1台、ボール盤1台の工場であった。昭和25年初頭、こんな工場を11万円3千円で買収することとなった。すぐ使える工場ではなく破れた工場家屋を直し機械を整備するのに半年以上も費やした。その間仕事確保に奔走もし、ようやく目鼻をつけて工場を稼働にこぎつけたのが、10月1日の記念すべき日である。この時、初心に帰って心機一転、創業を強く心に決め従来の池之内組を改称し、共立機械製作所と命名して、どぶろくで祝杯をあげて従業員3名で出発した。これが共立機械製作所創立までの受胎期と言える苦悶の時期で、貴重な歴史を刻みおくものである。

1951年~1980年

1951(昭和27年)

機械部門に加え製缶加工部門が発足する。

1953(昭和28年)

市内皆実町1208番地に敷地2,116㎡を買収し仕事の合間を見て埋立を始める。

1955(昭和30年)

製缶加工部門の仕事量の飛躍的増大に伴い、工場の狭小をきたし、皆実町敷地に新工場を新築し製缶部門のみを移転する。

1957(昭和32年)

法人組織に成り株式会社共立機械製作所となり、初代社長に池内義人が就任する。

1959(昭和34年)

皆実町の製缶部門に機械工場300㎡を増築し西町にあった機械加工部門を移転併合する。 初の自社製品油圧プレスの販売に乗り出す。

1960(昭和35年)

更に、業績の進展により隣地1,233㎡を買収し造成する。新事務所が完成し旧事務所を解体する。

1963(昭和38年)

初の特許導入で油圧シャーの試作に入る。

1964(昭和39年)

舶用アルミサッシの製造販売に着手し、舶用品メーカーの第一歩を歩み出す。

1968(昭和43年)

日軽アルミニウム工業株式会社、日軽商事株式会社とアルミ技術に関する業務提携書に調印し、アルミ製操舵室の製品販売を強力に展開する舷梯装置の製品化に成功し、本格的な営業に入る。

1969(昭和44年)

アルミ操舵室及び舷梯部門の発展に伴い大型製品専用工場として、第2工場1,188㎡を完成させる。

1970(昭和45年)

サッシ部門売上20%を超し、下請依存度45%となる。

1973(昭和48年)

本社隔週2日制を導入。三菱神戸に外航船用カーラダー納入、今治造船同決定。代表取締役社長に池内義治就任し前社長、会長に就任する。

1975(昭和50年)

第2工場事務所完成、電算機導入、スウェーデン・ウェリン社との舷梯業務提携交渉に入る。船員災害防止協会と共同で、ミニラダーを開発する。

1976(昭和51年)

ウエリン社との業務提携に調印し、ウエリンジャパンを共立、ウエリン、サーレン、日本造船機械の4社共同出資で設立する。

1977(昭和52年)

造船所の相次ぐ倒産により、業界甚大な影響を受ける。人員整理始まる、専務ウエリン社表敬訪問、英国カーゴ・スピード社との接触始まる。

1979(昭和54年)

カーゴスピード社とのランプウェイを中心にした業務提携調印式を東京において行う

1980年~現在

1988(昭和63年)

10月

尾道市正徳町に尾道工場(臨海工場)を建設、操業開始する。

1992(平成4年)

11月

尾道市正徳町に尾道第二工場を建設、操業開始する。

1994(平成6年)

4月

尾道第二工場の充実に伴い木原工場を閉鎖、尾道工場に統合する。

1996(平成8年)

9月

尾道市正徳町の工場及び敷地(2,730m²)を買収整備し、尾道第三工場として操業を開始する。

1999(平成11年)

6月

ISO9001認証取得をめざして、準備活動を開始する。

2001(平成13年)

8月

尾道市正徳町の工場及び敷地(1,795m²)を買収整備し、尾道第二工場B棟として操業を開始する。

11月

ISO9001認証取得する。

2002(平成14年)

6月

本社工場の旧機械工場棟を新工場(窓部門)として建設、操業を開始する。

新規アルマイト設備導入によりアルマイト事業部発足。

尾道市正徳町の敷地(3,473m²)を買収整備し、尾道第四工場を建設、操業を開始する。

東京に営業所を開設。

2005(平成17年)

10月

三原市木原町及び尾道市正徳町に敷地(10,860m²)を買収整備し、第五工場を建設、操業を開始する。

11月

本社工場に併設して、本社事務所を建設。

2008(平成20年)

11月

下関市彦島田の首町に敷地(133,581m²)を買収。

4月

東京営業所に設計部門を新設。

2009(平成21年)

1月

三原市糸崎の敷地(3,812m²)を買収整備し、糸崎工場を建設、操業を開始する。

2010(平成22年)

8月

下関工場2期工事完成 ハッチカバー・RORO装置生産開始。

9月

代表取締役社長に池内義隆就任す。

会社概要

会社名 株式会社 共立機械製作所
代表取締役 池内 義隆
創業 昭和32年10月1日
所在地 〒723-0052
広島県三原市皆実4丁目1番45号
電話番号 0848-63-3456
FAX番号 0848-64-5820
メールアドレス somu@kyoritsu-kikai.co.jp
URL https://www.kyoritsu-kikai.co.jp/recruit
行動計画

一般事業主行動計画

拠点・工場紹介

本社・工場

〒723-0052 広島県三原市皆実4丁目1番45号
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TEL:(0848)63-3456(代)
FAX:(0848)64-5820

工場敷地面積

敷地 5,927m²
製缶工場 3,131m²
附属建物 2,132m²

東京営業所

〒105-0004 東京都港区新橋1丁目18-14 新橋MMビル8F
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TEL:(03)6693-5400
FAX:(03)6858-5490

尾道工場

〒722-0004 広島県尾道市正徳町32-17
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TEL:(0848)24-2111(代)
FAX:(0848)24-2140

尾道第一工場

〒722-0004 広島県尾道市正徳町32-9
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工場敷地面積

敷地 1,598m²
製缶工場 984m²

尾道第二工場A棟、B棟、C棟

〒722-0004 広島県尾道市正徳町535-20
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工場敷地面積

A棟
敷地 1,883m²
製缶工場 992m²
附属建物 259m²
B棟
敷地 1,795m²
切断工場 1,379m²

尾道第三工場

〒722-0004 広島県尾道市正徳町25-17
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工場敷地面積

敷地 2,730m²
製缶工場 1,645m²
附属建物 195m²

尾道第四工場

〒722-0004 広島県尾道市正徳町29-2
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工場敷地面積

敷地 3,473m²
製缶工場 1,295m²
附属建物 325m²

第五工場

〒729-0321 広島県三原市木原4丁目20-1
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〒722-0004 広島県尾道市正徳町535-14
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工場敷地面積

敷地 10,860m²
製缶工場 7,140m²
附属建物 452m²

糸崎工場

〒729-0329 広島県三原市糸崎南2丁目9-25
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TEL:(0848)67-1888
FAX:(0848)67-5311

工場敷地面積

敷地 3,812m²
製缶工場 2,014m²
附属建物 117m²

下関工場

〒750-0085 山口県下関市彦島田の首町1丁目9-12
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TEL:083(266)3335(代)
FAX:083(266)3811

工場敷地面積

敷地 133,581m²
切断工場 3,638m²
製缶工場 5,900m²
ブラスト・塗装工場 2,632m²
附属建物 1,858m²

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